細長い電線を流れる電流によって生じる磁界の方向を与えたのがアンペアの右ねじの法則であるが、この電流と磁界の強さとの定量的関係を示したものがビオ・サバールの法則である。この法則は電磁気の基礎理論を学習するにあたって、アンペアの周回積分の法則とともに理解すべき重要な法則であるが、この法則を示す公式が込み入った数学的表現で直接示されているために、初学者にはとっつきにくい印象を感じさせる公式でもある。ここではこの法則の成り立ちについて考え、当時の社会環境から電気や磁気の現象を数学公式で表現することにどのような意義があるのかをひも説いてみる。
Update Required To play the media you will need to either update your browser to a recent version or update your
Flash plugin.
※テキスト中の図はクリックすると大きく表示されます
1820年、デンマークのエルステッド(1777〜1851)は自らの実験によってそれまで何年も予想されながらつかむことのできなかった「電流により磁気作用が生じる現象」を世に知らしめた。この発見の偉大さは、以後に発展した電気の歴史を見れば明白である。エルステッドの実験内容がパリに報告されるとこの研究に刺激され、一気に電気と磁気に関する研究の機運が盛り上がった。
それはボルタの電池の発見にも匹敵するセンセーショナルな話題を提供したのである。その発表を受けてからの研究のテンポの速さは真に目をみはるものがあり、例えばエルステッドの発表後数学、物理に鋭い才能をみせていたアンペール(1775〜1836)は1週間もたたないうちに、現在もよく使われている「アンペアの右ねじの法則」を発表しているほどである。
更にエルステッドの発表4週間後には、同じくフランスのビオ(1774〜1862)とサバール(1791〜1841)の2人が「ビオ・サバールの法則」を報告しているのである。また、アラゴの円板で知られるアラゴ(1786〜1853)の現象発見もこのころであり、ファラデーの電磁誘導現象の発見にその糸口を与えている。
さて、ビオ・サバールの法則はよく知られているとおり、電流の強さと導線の形とから、周囲の磁界の強さを与える公式である。しかし、この2人の法則の特質は実験を後回しにして、数学的理論を優先して法則をつくったことであり、数学公式として最初に法則が出現してきたことに特徴がある。
なぜ、このような電気の磁気現象に関して数学的形式が優先して決定されたのだろうか。これには当時のフランスの研究者たちを取り巻く環境に関係があり、科学に対する認識が数学的表現形式を尊重する雰囲気があったことに起因する。
1700年代から1800年代にかけて、フランスは物理学以上に数学の盛んな国であった。有名なアンペールについては、彼がまだ12才のころ既に微分積分を学習したり、図書館でラテン語の難解な数学の本を借りていたという逸話もあるが、ダランベールをはじめ、ラグランジェ、ラプラス、フーリエ、コーシーなど数学を武器に物理現象を解析する一流の研究者たちがフランスでは多く活躍していたのである。
これらの数学研究の成果の背景には、旧社会を崩壊させたフランス革命によって1794年に応用数学を中心とした、新しい型の大学エコール・ポリテクニクが開校されたことがフランス数学界の発展に大きく貢献している事実がある。
このような数学環境の中で、アンペールもビオやサバールも鋭敏な数学的なセンスで、電気の法則を感じ取っていたのである。したがって、控えめに実験を積み重ねることによって法則をかためていくよりは、ビオやサバールがやったように数学的にあらかじめ形式を想定して、それを実験で追ってみるという考え方も現象の解明には必要だったのである。数学的に現象を考えるということは、難しく考えることではなくて、現象をある程度簡単化して考えるということである。このような考え方の推移をビオ・サバールの法則で考えてみよう。
ビオ・サバールの法則とは、「第1図のように細長い導体ABに電流
I〔A〕が流れているとき、導体上の任意の点Cにおいて導体の微小長さΔ
l〔m〕と電流との積
IΔ
lによって、点Cから角θの方向で距離
r〔m〕の点Pに生じる磁界の強さΔ
Hは次式となる。」というものである。
したがって、電流の経路に沿って、これら微小部分を積分して寄せ集めれば経路全体による所要の磁界の強さ
H〔A/m〕が求められることになる。
具体的に例題を試みよう。
例題1
第2図は電流
I〔A〕の流れている経路が半径
r〔m〕の円形コイルである。コイルの中心Oに生じる磁界の強さはいくらになるか。
(解 答)
円形コイルの微小部分の磁界の強さは、
したがって、求める磁界の強さ
H は、
となる。
* 積分表現で求めれば、
* 電流の作る磁界を計算する場合の基礎となる法則には、アンペアの周回積分の法則もあるが、このような円電流による中心及び中心軸上の磁界の強さを求める場合には歯がたたない。
ところで、ビオ・サバールの時代には、現在では常識になっている電気の振る舞いでも、当時は解明されていなかったため一応仮説を立てて、その後で実験してみるという手法も必要だったのである。例えば、導体を電流が流れるという概念にしても、果たして導体の全長にわたって同じ強さの電流が流れているかどうかさえ物理学者には疑問視されていたのである。こうした状況の中では簡略化するうえで数学的手法は効果的であり、ビオ・サバールの法則の場合も、導体の中を流れる電流はすべて等しいと想定したことによって成功している。また、分母の4π
r2を見ても同様の文字がクーロンの法則、万有引力の逆二乗の式にも登場しているし、これら先人の知恵や方法も式を立てるうえで大きなヒントになっていることが分かる。しかし、クーロンや万有引力の式とビオ・サバールの式の違う点は、導体の微小片
での磁界を考えているため、この部分の作る磁界がただ距離だけに関係するのでなく、それ以外に角度にも関係するということである。つまり、直角の方向に磁界が最も強く、平行に近づくに従って、その角の正弦(
)にしたがって弱くなることを想定している。
この法則はあくまで数学的想像をもとにつくられているので、
などという微小片は単独では存在できない。したがって、この法則は導体全体にわたって積分されてはじめて求める位置の磁界の強さを知ることができる。
この公式をみて分かるように、磁界の強さは導体からの距離が大きく影響するが、公式の真偽を調べるためにはいろいろな点で磁界の強さを測定しなければならない。しかし、地磁気の影響も加わるであろうし、実験的証明は当初困難が多かったであろうことが予想される。
電流による磁界の強さが、ビオ・サバールの公式で求められるとすれば、ある地点の磁界は導体を重ねた倍数だけ大きくなることは明らかである。しかし、ここにもこの公式の真実性に疑問を挟む研究者からは、実験的裏付けが必要だという立場からすぐには受け入れられなかった。
話はそれるが1871年、電磁波の存在を数学方程式をもとに予想したのは、数学的理論家であったイギリスのマクスウェルである。マクスウェルは電界と磁界の関連性にいろいろ思いを寄せていた結果、電磁波の存在は空想の産物にちがいなかったが、彼の科学分析の信念を発表したものであった。それは空間で直接電気と磁気の関係を示す計測をすることができなかった事情から出たものである。しかし、ほぼ10年後の1888年、ドイツのヘルツが空間を伝わる電磁波の存在を実験で証明したことによって、はじめてマクスウェルの予想が正しかったことが世間に知られた。
この歴史的事実からみても、ビオ・サバールの法則も相似た経過を感じる。やがて電流の観念が定まり、磁界の測定が考案されるようになると、この公式が重要性を発揮するようになるのである。それは積分のできるようなコイルを作ることによってビオ・サバールの公式で磁界の強さが計算できる。次に磁界の強さを実際に測定して比較して正しいことを確認する。そうなると、磁界の強さから電流の強さを定義することもできる。
ビオ・サバールの公式を応用、発展させたのはアンペールである。彼は二つの電流間に働く力について論じており、1Aという大きさの電流の定義付けも行っている。彼は平行な2本の導線にそれぞれ電流を流したとき、電流が同方向のときは引力となり、逆方向のときは反発力となる。また、その強さは両電流の積に比例し、距離に反比例することを積分の形式で発表している。
有名なアンペアの周回積分の法則も考え方、公式の作り方に数学手法を用いたビオ・サバールと同様のところがみられる。すなわち、アンペアの周回積分の法則は「導体から半径
r〔m〕の磁力線上で微小長さ
とその点の磁界の強さ
との積
を全円周にわたり積分したものは、その閉曲線内の電流
に等しい」というものである(第3図)。
すなわち、微小部分
をもち出し、積分によって理論付けているところは共通性があるし、一つの回路の電流はどこでも等しいという仮定も同じである。
電気や磁気のような正体を具体的に表さない現象に対しては、ただ実験をいたずらに繰り返してみても、何を測っているのか真相がはっきりしない。そのような場合、数学的に形式を想定して実験可能な形で実証していき、間接的に仮定したことが正しかったかどうか確かめていくことは一つの科学的手法であるといえるであろう。